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ブログ11 コロナ禍での諏訪大社下社の御柱伐採

1.はじめに
長野県の代表的な観光イベントの一つに善光寺の御開帳があります。本来ならば、今年2021年の開催でした。昨年2020年、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、早々と1年延期が決まりました。よって、諏訪の御柱と同じ年の2022年(令和4年)、それも同じ頃の開催となりました。
「2022年は諏訪の御柱と長野市の善光寺御開帳とで、観光客の奪い合いになるだろう。」と私は予想していました。諏訪にも観光客が来てくれるだろうか、それが特に観光業の人たちにとって懸案事項であったと思われます。

それが今、2021年の段階では、私の気持ちはこう変わっています。「できるだけ善光寺に観光客が行ってほしい。できたら諏訪の御柱は無観客で行いたい。」 なぜならばまだ新型コロナウイルスの感染が猛威を振るっており、ワクチン接種も始まったばかりでその効果が現れるには時間がかかりそうです。新型コロナウイルス対策の最も基本は、人の移動を制限することだからです。

諏訪の御柱の場合、「コロナ禍なので実施を先に延ばしましょう。」とは言えません。なぜならばそれは、お祭りではなく、諏訪大社の神事であるからです。奥山で「霊(山の神様)」が巨木へと育てた樅の木(モミのき)を、どうしてもお社の4隅に立て直さなければならないと信じて疑わないからです。最も近いところでは、第2次世界大戦中もこの神事を、若者たちが戦争(赤紙)で駆り出された中、残った者たちだけで続けたと言いきかされて私たちは育っています。そういうDNAを持って生まれ、育ってしまっているからです。「新型コロナといえども、この神事を私たちの世代で止めることはできない。」と、ハナから信じて疑わない民族なのです。延期がないなら、やるかやらないかの二者択一ですが、私の気持ちは「やる」のみです。

なお以下の記事は私の個人的な視点で書いたものです。公式な記録は諏訪大社から出るものです。あくまでもシュタールの1社員が関わったことを、私の地域の場合に限定して語っております。拡大して解釈しないように、くれぐれもお願いします。

 

2.2021年(令和3年)の下社御柱御用材伐採のこと
諏訪大社は現在、上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)の2つで構成されています。しかし上社と下社は別々と考えた方がよろしいと私は思っています。上社は出雲の系統(古事記の世界)、下社は大和朝廷の系統と考えているからです。ある意味、出雲と大和との代理戦争をしていたような関係です。「出雲は国譲りをして大和朝廷に屈したのではないか?」と言われるかも知れませんが、その国譲りに反対した大国主命(オオクニヌシノミコト)の次男である建御名方命(タテミナカタノミコト)を諏訪大社が祀っています。こちらの系統が上社ではないかと思っています。

さて話は現代。ブログ5でご紹介した通り、2020年(令和2年)、下社の本見立ては中止となりました。その前の年に仮見立てで選んだ8本の樅の木を、改めて現地には行かず、「本見立て」で確認したという扱いになっていると思います。そして2021年(令和3年)5月10日、平日の月曜日、見立てをした8本の巨木を伐採しました。平日に行うのは、わざわざ有給を取ってまでも参加するに値すると考えている人たちに集まってもらいたいからかも知れません。あるいは観光客が来ることを避けるためからかも知れません。平日に伐採を行うのは今回だけではありません。それが当たり前だと思っています。

諏訪大社下社の奥山は、今は東俣(ひがしまた)国有林です。霧ヶ峰の火山地帯と言ってよろしいかと思います。瓦礫(がれき)のように岩や石が露出しており、落石の危険、したがって怪我の危険があります。いずれにしましても多くの人が奥山に入りますと、人の歩いた後に踏み固められた地面、あるいは崩れた斜面が残るのであります。だから人数制限をし、これからの世代に御柱御用材が育つ土地を残して行かねばならないと考えています。下社御用材は植樹ではなく、樅の成木から落ちた種が芽吹き、100年~200年を掛けて育った大木であります。

5月10日の伐採当日は、予め御用材ごと(地区ごと、あるいは柱ごと)に決められた記録係以外、諏訪大社より写真撮影が許可されていませんでした。本ブログで、伐採本番の画像がない理由です。代わりに地元新聞に載った写真を転載させていただきますが、その地元新聞さえも入山規制が掛かって取材ができなかったのです。唯一入山を許可されたのが地元ケーブルテレビであり、諏訪大社経由で画像を入手したに違いありません。

私が最終日、片付けの日に撮った写真を冒頭に紹介しておきます。これが伐採当日の最後の状態であります。切り株から切り落とされた御用材を眺めたところです。谷側にかなり吹っ飛んでいるのが分かると思います。

 

3.コロナ禍での下社伐採と上社本見立て
2021年5月10日(月)、遅くとも朝8時には各御柱御用材(モミの巨木)を最大で40名の氏子たちが取り巻いていたはずです。それは、諏訪大社の大総代(おおそうだい、各地区の代表)を筆頭に、各地区で結成された伐採委員会(私の所属する地域では御柱伐採実行委員会と呼んでおります)の面々です。8本の御用材の中で最も太いのは秋宮一の柱ですが、神事は春宮一の柱から執り行うと決まっています。春宮一の神事が終了したとの連絡が諏訪大社の宮司から各神官に入って来ますと、御用材ごとに神事が開始されて行きます。神官も人数制限で、2本の柱の神事を兼務で担当します。

新型コロナウイルス対策の1つとして、お祭り気分を入れないという申し合わせがありました。よって神事の後のお神酒の振る舞いも省略です。着用しているマスクを外す場面が生じるからです。「5名以上での飲食は禁止」が厚生労働省の方針で、それに従いました。奉献された日本酒は、御用材とその周りの地面のみに捧げられました。神官の祝詞奏上があり、斧入れ(よきいれ)の儀式と続きました。

ここで新型コロナウイルス感染対策について、少し説明をしておきます。伐採に従事する者はもちろんのこと、警備にあたる警察官や消防団や立ち合いの森林管理官も、全員がマスク着用でした。また伐採委員会のメンバーは伐採当日より2週間前から毎日、体温測定とその記録を始めました。もちろん体調変化も記録します。私は会社と御柱伐採実行委員会の2通の用紙に毎朝、検温と体調の記録を残していました。

私たちの地区の御柱伐採実行委員会は、当日の集合時刻が午前5時でした。私は3時半に起きて体温測定をし、当日担当する仕事の準備を始めました。起きたというより、伐採当日で目が覚めてしまったという方が適切な言い方でしょうか。他のメンバーも同様であったのでありましょう、全員が記録用紙に体温を記入して時間通りに集合して来ました。20代から70代までの集団ですが、さすがです。

さて諏訪大社上社の方ですが、今年2021年の6月に本見立てを予定しているとの報道です。実施日は、下社伐採と同様、情報統制されていて不明です。関係者以外を入山させない、新型コロナ対策として人数を絞る、そんなことが目的であると思います。どういう条件であれば御柱祭を前に進めることができるのか、そう考えて自分たちで決めたことです。後日、本見立ての結果が報じられましたら、何らかの形でご報告したいものだと考えております。

「同じ御柱でも、上社と下社とで違うのですね。」とよく観光客の皆さんから言われます。私は下社のエリアに住んでいるので、上社の御柱は観光客の一人としてでしか見ることができません。上社の御柱の主催者側として、お祭りそのものに参加することはできないのです。下社の御柱御用材は御柱祭の1年前に伐倒されて皮を剥がれて山出し祭を待ちます。ところが上社の御柱御用材は、皮を剥がずに山出し祭を行います。皮を剥ぐのは、山出し祭を終えて里曳き祭が始まるまでの間であると聞いております。

 

4.前回、平成27年の下社伐採
手元に当時の新聞の切り抜きが残っていたので、紹介しましょう。2015年(平成27年)3月27日、諏訪大社大総代会(おおそうだいかい)にて御柱祭の日程が決まったとあります。その記事によれば次の通りです。
下社の御用材 伐採 2015年5月12日(火)
上社の御用材 本見立て 2015年6月9日(火)
御柱祭 上社の山出し 2016年4月2日(土)~4月4日(月)
御柱祭 下社の山出し 2016年4月8日(金)~4月10日(日)
御柱祭 上社の里曳き 2016年5月3日(火)~5月5日(木)
御柱祭 下社の里曳き 2016年5月14日(土)~5月16日(月)
前回の御柱は、このように先を読んで日程が公になっておりました。

これに対し今回は、下社伐採と上社本見立ての日程が関係者以外には知らされないし、事前に報道もしないというやり方でありました。

平成27年の下社の御柱御用材伐採の新聞の切り抜きも残っておきましたので、ご紹介します。写真は、最も先に神事を行う春宮一の御用材の伐採のようすを示しています。

以下、私の記憶で述べさせていただきます。前回の伐採は新聞記事にもある通り、台風が接近する中で執り行われました。朝から空は曇り空、午前中に伐倒しましたが、昼が近づくにつれて風が強くなって来たように記憶しています。

神事の後、伝統にしたがって斧と鋸とを使い人力のみで巨木を伐倒しました。伐倒後、御用材の皮むきをしている頃には台風の接近を肌で感じるようになりました。森の中をゴーゴーと音を立てて風が吹き抜けて行きます。皮むきを終えた頃には雨が降り出し、地元の公民館に戻った時には皆、びしょ濡れでありました。
留守部隊(慰労会の担当者たち)がストーブで部屋を暖めておいてくれてあり、期待以上の出迎えで本当にありがたかったことを覚えています。無事に伐採を終えたという安堵感、与えられた使命を果たして重圧から解放された気持ちとが相まって、大宴会となりました。

 


5.御柱伐採への道

さて2021年(令和3年)の下社御柱御用材伐採までの道のりを、私の住む地区を例にお伝えしましょう。
2020年に御柱伐採準備委員会を当時の区長が立ち上げました。秋には地元住民より「伐採してほしい。」と依頼された雑木たちを相手に、格闘していました。木を切って倒す練習です。木こりのような仕事をしている者は、御柱伐採準備委員会のメンバーの中にはいません。昔ならば、自分の所有する山の手入れを自分で行うのが当たり前で、鋸や斧はその必需品でありました。それが代替わりし、自分の家の山がどこにあるのかもわからなくなってしまっています。数年来、自分の所有する山に入ったこともないという事例も、珍しくなくなって来ています。今の山仕事はチェーンソーを使わなければ、忙しい世の中ではついていけません。そういう私も、御柱祭がなければチェーンソーをいじる機会などありません。
そして年が明け、今年の新区長が誕生しました。御柱伐採準備委員会の一部委員を変更して、御柱伐採実行委員会が立ち上がりました。委員に選ばれると、何となくワクワクしてしまいます。血が騒ぐというやつでしょうか?伐採が終われば翌年は本祭り。本祭りで役員(委員)になるには、御柱伐採実行委員会の役員・委員になっていることが必ず有利に働きます。

ところで御柱御用材の伐採で、チェーンソーを使う場面はどのような時が想定されるでしょうか?
・ 準備段階で、足場を組む時
・ 御用材の伐採前に、支障木(※)を切り倒す時
・ 御用材の伐採後に、枝払いをする時
・ その他
(※) 支障木とは、御用材を切り倒す際に邪魔な(=支障となる)立ち木のことを言います。予め下見をして支障木に印を付けておき、環境省に切ることを届け出て承認を得ないといけません。支障木と称して勝手に山の木を切ってはなりません。許可を得た支障木には、切る前と切った後の写真を提出することが義務付けられています。

昨今、野良仕事においても労働安全が叫ばれるようになって久しくなりました。たとえば私たちは、草刈り機(芝刈り機)を操作する時には保護メガネをしています。それと同様な要求がチェーンソーの取り扱いにもあります。チェーンソーを使う場合には防護ズボンを穿くか、またはチャップスという脚毎に巻く保護具を使わないといけないということや、チェーンソーの取り扱いに関する講習を受けないといけないということも、実は私、御柱伐採実行委員会で教わったことです。「たかが1本の樅の木」と言うなかれ、その伐採のために、どの位の準備が必要であったのでしょうか?遵法するということは、大変なことであります。

今回のような経験を積んだ若い世代が次回、あるいはその次の御柱御用材伐採に向けて、地区ごとに技術を受け継いで行くのであります。そして年相応になったら、その世代を代表する者が伐採長として選ばれて行きます。

さて新区長や伐採長は例年、御用材に匹敵するような大木を実際に切り倒して、伐採技術の最終確認をします。今年の我が御柱伐採実行委員会には、下社木落し坂に設置している模擬御柱の伐採依頼が舞い込んで来ました。模擬御柱も諏訪大社の御柱と同様、地元の有志たちが6年ごとに更新しています。模擬御柱の伐採については別の項目を起こして説明します。ここでは省略し、次の段階へと説明を進めさせていただきます。

御柱伐採実行委員会が立ち上がった頃、今年の冬には新型コロナウイルス感染第3波が猛威を振るっていました。そして「御用材伐採という神事を今年はどうやるのだろう?」とか「今年の伐採日程はどうなっているのだろう?」というような不安が広がり始めました。御柱伐採準備委員会では「コロナワクチン」が救世主のように登場することを期待していましたが、それが御柱伐採実行委員会になって「ワクチン接種が当地では伐採に間に合わない」ということが見えて来ました。

大総代がお宮(諏訪大社)に、頻繁に招集されるようになりました。また大総代会もその都度、開かれたようです。諏訪大社の意向がだんだんと情報として入って来るようになりました。「いつ伐採を中止するかわからないが、伐採してくれと言われたらその用意ができているように。」という、全く漠然とした内容が目標として与えられました。御柱伐採実行委員会は、「最早で5月伐採(通常通り)、最も遅くて今年の秋」を想定して準備を進めたのでした。5月に伐採をすると言われた時に「準備が間に合いません。」と返してはなりません。

伐採を行うため、大総代会よりいくつかの条件が示されました。
① 1本の御用材当たり、切り倒すために当日参加できる人数の上限は40名
② 当日参加するメンバーは、入山2週間前から検温(体温測定)と体調管理をする、その記録は伐採当日に諏訪大社に提出しなければならない
③ 観光客はもちろんのこと、地元住民も伐採を見学することはできない(人流の制限)
④ 御柱伐採の日程は御柱伐採実行委員会の中で情報を共有するのみで、他言無用
①の条件を満たすため、御柱伐採実行委員会に名前を連ねていた人たちの何人かに、当日の不参加を要請しなければなりませんでした。そのことを伝える側にも心労がありました。

こうして④の5月10日(月)を迎えたのでありました。

 

6.模擬御柱伐採
本番前の、模擬御柱の伐採のようすを写真でご紹介して行きます。

伐採場所は木落し坂から和田峠方面に少し上った国道142号線(旧中山道)沿いの山林でした。個人の所有地であります。

 

伐倒方向を定めるため、切り倒そうとしている樅の木をワイヤロープで若干引っ張ります。そうするためには、模擬御柱候補木に登ってワイヤを廻さなければなりません。更に言えば、登るためには梯子が必要です。画像では梯子が樅の木の影に白く光って見えます。

 

梯子の下の方はロープで固定されています。単に立て掛けているだけでは、安全ではありません。

 

次に木に登るメンバーです。その場の雰囲気で登りたい人を当てるわけにはいかないと考えました。伐採長と副伐採長たちとで話し合って、予め3名に了解を取り付けておきました。3名の顔を見ますと、前回の御柱御用材伐採で登った者が1名と、今回の伐採でデビューする新人2名でありました。このようにして、「木登り」の経験者を地域として持続できるように配慮しているのです。

 

ワイヤロープを巻き付ける高さまで登ったら、この樅の木の枝を使ってロープを垂らします。このロープを使いエレベータの要領で、物品を引き上げることができるようになります。木に登る時には叶わなかった道具が調達できるようになったわけです。ロープが梯子の影に吊り下がっているのが見えるでしょうか?

 

樅の木ばかり注目しておりましたが、地上側でもワイヤロープを張るための準備を進めています。伐倒方向に人が入ることができませんので、安全な場所で仕事ができるように滑車を使ってワイヤロープの向きを変えます。この陣取りが大事です。

 

 

 

 

 

やがてワイヤロープが樅の木に巻き付けられ、地上と連結することができました。

 

いよいよ斧と鋸が登場します。樅の木の大木の幹に、まず斧が入ります。V字型の受け口が伐倒方向に作られて行きます。所定の大きさに削られましたら、その反対側から交替で鋸を引いて行きます。追い口を作って行く、いつもの光景です。「誰か鋸を引いてみるか?」と声がかかると、「やらせてください!」と若者たちから声が戻って来ます。

 

しかしこの光景も、今年の御用材伐採では見ることができませんでした。チェーンソーの使用が義務付けらたため、本番では資格のある者たちしか携わることができなかったのです。

鋸で空いた切り口に「矢」をカケヤ (木製のハンマーをイメージしていただきたい) で打ち込んで行きます。鋸を引いては矢を打ち込むという作業を繰り返して行きます。

 

鋸の歯が樅の木の幹深くに切り進んで行きます。矢が樅ノ木に突き刺さって行くと「メリメリ」と樅の木の幹の繊維が切れる音が大きく聞こえ始めて来ます。そして最後の一撃はカケヤが与えました。

 

そして間もなく、大木がゆっくりと倒れ出します。樅の木の枝が周りの木々に当たる音がするとほぼ同時、「ドーン」という大きな地響き音がして樅の木が地面に横たわります。


伐採では「寝かせる」と言うようですが、樅の木の巨木が伐倒されると、根元の部分が切り整えられます。巻尺が登場し、「基準面」である根元からの長さを測ります。要求の長さで、頭の方が切られます。もちろん枝が張り出して巻尺の通り道を邪魔をするようであれば、これらの枝は測定前に切り落とされます。

 

樅の木の樹齢に興味のある者が、切株で年輪の数を数え始めます。また「寝た」樅の木の最先端 (成長点) が切り取られ、切株に祀られて行きます。接ぎ木のようになって成長して来るわけではありません。根は幹が切られたことを知らず、相変わらず地面から養分を吸い上げ続けます。私はなぜか、供養のような気持ちを覚えたのであります。

 

 

 

 

 

7.御柱御用材伐採
地元の大部分の住民たちは、伐採翌日2021年5月11日(火)のニュースや新聞で、伐採が執り行われたことを知ることになります。長野日報という地元新聞社のホームページに掲載された記事より、その先頭部分を引用させていただきます。例により、青字にしておきます。なお画像の方は市民新聞という別の新聞社のものであります。

コロナ下 静かに御柱祭準備 下社御用材伐採
2022(令和4)年の諏訪大社御柱祭に向け、下社の御用材となるモミの伐採が10日、下諏訪町郊外の東俣国有林であった。新型コロナウイルス感染拡大防止のため氏子の参加人数をいつもの5分の1ほどの約150人に制限し、春宮、秋宮合わせて計8本を伐採。現場に花を添える木やりなどの大きな掛け声はなく、来年の祭事に向けた準備を静かに整えた。
伐採は町全10区の各伐採委員会が担当した。御柱祭下社三地区連絡会議によると、同日午前8時ごろから神事を行い、同8時30分前後から作業を開始した。好天の下、時間短縮のためチェーンソーを使い正午ですべての作業を終えた。8本のうち3本は皮むきなどを残したため、後日作業する。
第3項の記述が、この記事に先立つ動きとなります。

さて模擬御柱で伐採練習をした我が地区の御柱伐採実行委員会でありますが、本番はやはり格が違いました。さすがに御柱御用材は巨木です。伐採を担当する御用材は春宮二であります。秋宮一、春宮一、秋宮二に続く4番目に太い樅の木です。8本の御用材の中では、平均的な太さと言ってよいでしょう。それでも「太い!」

本ブログの冒頭でお断りしたように、伐採当日は私的な写真撮影が禁止されておりました。したがいまして撮影のできました伐採準備のようすを画像で紹介して行きたいと思います。

これまで春二の御用材は急斜面に立っていることが多かったのですが、今年もそうでありました。

一昨年に仮見立てをした春宮二の周りには、赤いテープを巻いた細い木々が立っています。これらが環境省に事前申請をして切り倒す許可を得た支障木たちであります。私の経験からすれば、今年は随分と少ない本数でした。

急斜面でこの樅の木の巨木を伐倒するためには、足場を組む必要があります。この大木の周りに、ステージのようなものを用意することを想像してください。また伐採の最初に行う神事の場面でも使用します。いつもならば支障木を切って足場の材料としていましたが、今回は本数が足りません。つまり「地産地消」ができないわけで、麓よりトラックで木材を運び込み、足場を組むことにしました。

足場作りと並行し、手の空いたメンバーで御用材に通じる階段を作ることになりました。急坂なので、転倒災害も危惧されます。支障木の幹と枝とを組みあわせて階段を作り、手すり代わりに白いロープを県道のガードレールから垂らした簡易的なものですが、重宝しました。県道のガードレールが使えるとはラッキーで、こんなに県道と近いところで伐採ができるのは私にとって初めてのことでした。こうして完成しました階段が、県道と御用材とを結ぶメイン通路となったのです。

職人たちの協力で足場が組まれ、この日の作業を終えました。3密を避けるため、1回の作業は基本的に半日というルールを自分たちに課しました。お昼はどうしてもマスクを外し、話に花が咲いてしまうからです。

春二の伐倒方向は、ちょうど足場の方向となります。これも関係する委員が昨年から何度も現場に足を運び、決定したものです。2本の楢の木が並んで立っており、その間をちょうど狙って倒す計画です。そこが唯一、雑木のない方向でした。なお当日は、足場を取り去ってから春二を倒しました。

日を改め、2回目の準備作業は、ワイヤロープを張る作業です。やはり、巨木でありました。模擬御柱よりも1つ1つの作業や動作に時間がかかってしまいました。木に登るのは例の3名で、大部分の委員は下から作業風景を眺めておりました。

すると、手の空いた委員がガードレールの掃除を始めました。その目的を聞きますと、「ガードレースは神主様の通る通路にあり、そこで神主様の袴(はかま)を汚してはいけない。」との発想からでありました。何という発想、思わず心の中で「採用!」と叫んでしまいました。しかし当人は、当社の定年を大きく越えておりました、「残念!」。
当日は雨天かも知れないし、そうでなくとも衣装が汚れることはできるだけ避けたいというのが人情でしょう。

こうして5月10日(月)の当日を迎えました。詳細を記すことはできませんが、これまでの記述で大筋は理解していただけると期待します。

伐倒したらいつもならば万歳という流れでありましたが、今回はそれも自粛しました。昼の「12時までに県道に上がる。」が申し合わせでしたので、私たち春二の御柱伐採実行委員会は皮を剥かずに撤収しました。打ち合わせ通り、全てが淡々と進みました。

最後に御柱伐採実行委員会で各係の長たちが挨拶をして行きました。その中で、感極まって男泣きした者がおります。その人の苦労を知っているから、合点です。委員会の中心としてこれまで積み重ねて来た努力と苦労、仲間たちと意見を戦わせながら戦略を練って来たこと、率先して準備を進めて来たこと、そしてこうして伐倒が無事故で無事に終了したこと、いろいろな思いがあったことでしょう。

伐倒で御用材の下敷きのような形になった枝たちは、地面に突き刺さっておりました。倒木のすさまじさを改めて感じた次第です。

それから1週間後、皮むきと片付けをして現場での一切の作業を終了したのです。伐倒の巻き添えになるかも知れないと事前申請しておいた支障木ですが、そのまま残っていました。狙った通り2本の楢の木の間を見事に通って、御用材を寝かすことができました。

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