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ブログ8 技能実習生第1期生帰国
はじめに
技能実習制度とは
技能実習制度『我が国で開発された培われた技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、その開発途上国当の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的とする制度』と定義されています。
受け入れ方式
技能実習生の受け入れ方式には、企業単独型(2.8%)と団体監理型(97.2%)の2タイプがありますが、大多数が団体監理型となっています。
企業単独型:海外の現地法人や合併企業の職員を受け入れて技能実習を実施する方式
団体監理型:事業協同組合や商工会議所などの営利目的としない団体が技能実習生を受け入れて、事業実習を実施する方式。
在留資格区分
技能実習制度は、入国後1年目の技能を修得する第1号技能実習と2、3年目の第2号技能実習、そして4、5年目の第3号技能実習とに分類されます。
・第1号 1年目
・第2号 2,3年目
・第3号 3,4年目
当社での技能実習について
当社にはフィリピンに子会社(Stahl materials Philippines,Inc.)があります。
そして2015年から毎年フィリピン子会社から技能実習生を受け入れています。
第1期生となる技能実習生2名が2015年8月に入国しました。彼らは2012年にフィリピン工場立ち上げ時の最初のメンバーでもあります。
2018年に技能実習の3年(2号)が修了しましたが、2017年から新たな3号(3年⇒5年に延長)が可能となり、2号から3号に移行しました。
そして昨年の9月に技能実習期間の5年が満了して母国へ帰国されました。
現在当社では第2期生から第6期生(1号から3号)の技能実習生12名が活躍しています。
・1号(1年目)が3名
・2号(2~3年目)が5名
・3号(4~5年目)が4名
今回は技能実習生の第1期生のコロナ禍での帰国について書きます。
【技能実習生1期生】
2015年8月に第1期生となるパド君とリワナグ君2名が入国しました。
日本語の勉強をしている写真です
現在は技能実習生が12名と増えましたが、当時は2人だけだったので日本語を覚えないと誰とも会話ができない中でのスタートとなりました。その為日本語を覚えるのは早かったです。
技能実習生が増えることで母国語で会話できる人が多いことと、最近のスマホ翻訳アプリも進化していることで年々日本語を覚えるのに苦戦しています。
2018年に3年目(2号)が修了した後に一時帰国をしています。
入国の時は3年の予定でしたが、技能実習期間の間に新たな制度技能実習3号が可能となりました。
更なるレベルアップを目指し、技能実習3号に移行を希望したいと2人が言ってくれました。
ただ3号に移行したい、もう2年日本で技能実習をしたい。希望がするだけでは日本に残ることはできません。
3号に移行する為には試験を受けて合格をしないといけません。
それ以外に失踪者の多発や制度的な違反が無いこと、技能実習機構から優良の認定を受ける必要があったりと条件が色々とあります。
1号から2号(1年目から2年目)に移行する際にも試験(基礎級)があります。
ただその時よりも当然試験の難易度は上がります。
また何回でも受けられるわけでもなく、再試験は1回までとなっています。
2回不合格となった場合には残念ながら3号へ移行はできません。
日本人でもしっかり練習しないと合格できないと言われる随時3級フライス試験。
2人とも一回目で合格をし、3号へ移行する資格を得ることができました。
その後も2期生の随時3級試験の指導を行ってもらい、2期生も無事に1回目で合格することができました。
3号技能実習の要件である1カ月以上の一時帰国をした後に2018年10月に第4期生と共に再入国をしました。
市役所で住民登録の手続きを行った時の写真です。
そして昨年技能実習の5年が修了し、2020年9月26日に無事に母国へ帰国しました。
2回の帰国となったのですが、1回目と今回のコロナ禍での帰国は全く異なる帰国となりました。
1回目の時は1ヶ月後に再入国することが決まっていたものの、3年間頑張ってくれたことに感謝の思いで一時帰国の前に現場社員のみですがお疲れ様会をしました。
再入国の時にも少人数での歓迎会をしました。
しかし今回は世界中で新型コロナウイルス感染拡大の中での帰国となりました。最後に行きたい所にも連れて行けず、送別会もしてあげることができませんでした。
【帰国の準備】
日本では第2波で緊急事態宣言発令、フィリピンではロックダウンとなっている都市も多く、正直この中で帰国ができるのか?帰国してもいいのか?から始まりました。
その為、帰国する1ヶ月以上も前から帰国の準備を進めてきました。
まずネットで技能実習生の帰国について検索するも中々情報を得ることができませんでした。この時期に帰国ができない技能実習生が殆だったからです。
フィリピン大使館、フィリピンエアラインなど色々な所に連絡をするも繋がらなかったり、はっきりとした情報が取得できず、益々不安になるばかりでした。
航空チケット会社にマニラへのフライトがあるのか確認をしたところ、本数は少ないが一応飛行機は飛んでいて各空港のスケジュールを確認することができました。
2020年9月の時は
【 羽田 ⇒ マニラ 】が 月・水・日
【 名古屋 ⇒ マニラ 】が 水・土
とフライトは少ないですが、なんとか帰国ができそうとのこと。
ただフライトキャンセルになる可能性もある為、キャンセルとなった場合のことも考えながら予約を取る必要がありました。
チケットを押さえた後にフィリピン航空からマニラ入国に際し必要な手続きならびに書類についての案内がありました。
・ 電子入国カードの登録(出発1日前より可能。)(チェックイン前に登録完了をお願いいたします。)
・ PCR検査に伴う電子登録フォーム(出発3日前より可能。)
ただしOFW(Overseas Filipino Workers ) に該当する方のOWWAへの登録は出発の5日前までに完了させてくだ さい。
(空港チェックインカウンター前で登録確認をさせていただきます。)
(登録が出来ていないお客様はその場で登録していただくことになります。必ず事前に登録をお願いいたします。)
・ マニラ到着時に行うPCR検査結果が出るまでの待機ホテルを最低2泊予約。
・ Pax Locator and Declaration form(チェックインカウンターに提出)
・ マスク、フェイスシールド着用が必要となります。
ネットから登録を行ったのですが、ここで困ったのが登録完了のお知らせがなかったことです。
日本のように登録すると登録したメールアドレス等にすぐに「受付けました」や「登録完了しました」の通知メールが届きますが、フィリピンからその様な登録完了の通知メールがすぐに届かず3日後にやっと通知が届きました。
この様な状況での帰国は初めてですし、ちゃんと登録もできているかはっきりわからないままの状況で当日空港でチェックインするまでは本当に不安でした。
第2波ピークの8月に比べて9月は感染者が減少傾向にあり、少人数での送別会も計画をしましたが、もしも感染して帰国ができないなんてこともあり得る為、残念ながら計画は中止となりました。
こちらはコロナ感染拡大前で、おそらく帰国前の最後の会食の写真です。
【帰国当日】
今回はフライトの4時間前までにチェックインを済ませるように連絡があった為、朝の出勤時間の8時20分よりも早く出発することになりました。会社に寄ったものの全員が出社している時間帯ではなかったので少人数に見送られながら諏訪を出発しました。
いざ空港へ到着すると国際線はフィリピンエアラインしか便がなく土曜日にも関わらずかなり空いてました。
フィリピンエアラインのカウンターだけに人が集中していて、チェックインカウンターまで行けない方が多くいました。
どうやら電子入国カードの登録が済んでいなかったようで、皆さん必死にスマホで登録を行っていました。
我々は事前に登録が済んでいたのでそこはスムーズにチェックインカウンターまで行けました。
思った以上に早くチェックインができたので一安心。
時間もまだあったので最後に美味しい物を食べさせてあげたかったのですが、今回は外食をせずに出発前にコンビニでお弁当を買って車内で済ませていました。
その為チェックインカウンターで荷物を預け、そのまま保安検査場前で2人とはお別れ。
2人が保安検査場を無事に通過するかを見守り、手荷物検査が無事に終えたことを確認して私は一旦車内に戻りました。
フライトキャンセルになる可能性もあるので車内で待機することに。
1時間後くらいに彼らから「飛行機に乗れました」「ありがとうございました」とLINEが入ってきました。
これで私は諏訪に戻り、彼らからマニラに到着の連絡を待つことに。
【無事に帰国】
夕方19時くらいにマニラ空港に到着しましたと連絡が入りました。
そして「これからPCR検査を受けますのでまた連絡します」と言われ連絡待つことに。
PCR検査を受けるのにフィリピン側でも更に書類の確認が行われ、終わるまでに3時間かかったようです。
そこから滞在先のホテルに戻り、帰国1日目が無事終わりました。
相当疲れたのか「終わりました、明日また連絡します」とLINEが入ってきて電話する元気はもうなかったようです。
翌朝に電話をした時にかなり疲れていたのが声を聞いてわかりました。
水がおいしくない、日本食が恋しいと言ってました。
2日目の早朝5時に2人とも「陰性でした」と報告があり、夕方には自宅に戻ることができたようです。
そしてそこからさらに自宅で14日間の隔離となりました。
2年ぶりの母国、実際に勤務するのは5年ぶりとなります。
現在は日本で習得した技術をしっかり母国へ持ち帰り子会社フィリピン工場でリーダーとして活躍されています。