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日本の鉄づくり -たたら製法-(コラム4)

仕事を覚える時に、「段取り」という言葉を習います。この言葉の語源ですが、歌舞伎で使われていたと言われます。今は完全なマネジメント用語となり、改善活動やVEでは「内段取り」とか「外段取り」といった派生語を習います。改めて語源由来辞典で調べてみました。

ところで「代わり番こ」はいかがでしょう?同じく語源由来辞典で調べますと

ここに出て来ます「たたら製鉄」ですが、日本古来からの製鉄方法です。上等な鋼種は日本刀になり、農具等もこの鉄から作られました。このコラムでは、日本での鉄づくりを扱ってみることにします。なお「たたら製鉄」という用語は以下、「たたら製法」に統一させていただきます。


ところで諏訪地方では「ずくを出す」という方言があります。調べてみますと、長野県全域で使われている方言のようです。例えば、柚木ゆうらさんのブログ yura note を参照ください。

個人的には「(やるべき課題を)先延ばしせず、やる気を起こして今やる。」というような意味で使っています。この言葉の発音に相当する漢字があります。
銑 (ずく)です。鉄づくりの過程で出て来る鉄の一種です。現代では銑鉄という言葉があります。Wikipediaから引用しますと

銑鉄(せんてつ、pig iron)は、高炉や電気炉などで鉄鉱石を還元して取り出した鉄のこと。銑鉄を生産するプロセスのことを製銑(せいせん)と呼ぶ。古くは銑(ずく)と呼ばれた。

とあります。製鉄工程の中で、一番先に生成するものが銑鉄です。先の方言の例を引用するならば、「ずくを出さない」と次の製鉄工程に進まないと言っているようにも聞こえます。

 


「代わり番こ」や「ずく(銑)を出す」という言葉は、現代にも残っていると思われます。それでは鉄を作る技術は古代、どのようなものであったでしょうか?まずWikipediaにて「鉄器時代」で検索してみました。

日本は、弥生時代に青銅器と鉄器がほぼ同時に流入しており、『魏志』などによればその材料や器具はもっぱら輸入に頼っており、日本で純粋に砂鉄・鉄鉱石から鉄器を製造出来るようになったのはたたら製鉄の原型となる製鉄技術が朝鮮半島から伝来し、確立した6世紀の古墳時代に入ってからである。製鉄遺跡は中国地方を中心に北九州から近畿地方にかけて存在する。7世紀以降は関東地方から東北地方にまで普及する。日本においては鉄器と青銅器がほぼ同時に伝来したため、耐久性や鋭利さに劣る青銅器は祭器としての利用が主となり、鉄器はもっぱら農具や武器といった実用の道具に使用されることとなった。

日本で武器と言えば、日本刀が代表的なものでしょう。たたら製鉄では原料の1つに砂鉄を使います。子どもの頃、川に行って河原で磁石を使って砂鉄を集めた経験のある方も多いと思います。私もこのコラムを書くに当たり、近くの川で川砂を集めてみました。百均で購入したマグネットシートを使って選別したところ、10%くらいの砂鉄を含んでいました。

 

また何年も前のことになってしまいますが、子供の自由研究で海水浴場の砂鉄を調べたことがあり、その時の印象は
・ 海辺の砂よりも近所の川砂(元は八ヶ岳の火山岩からできています)の方がずっと多く砂鉄を含んでいる。
・ 砂の色で砂鉄を多く含んでいるのか否かは判断できない。
ということでした。

たたら製法の原料の砂鉄を考えた時、次の2つの疑問が湧きました。
Q1) 砂鉄を含む川砂を集めて来ただけでは砂鉄の含有量が高くないので、たたら製法の原料にそのままでは使えない。
磁石が容易に入手できなかったであろう時代、どうやって砂鉄を拾い集めたのであろうか?
Q2) 当社のある諏訪地方は、黒曜石を算出する。今でも採掘している。石器時代の「工業地帯」であり、縄文遺跡もたくさ
んある。八ヶ岳を背後に抱え、砂鉄もたくさん取れたはず。そのような地域なのに、なぜ鉄器が盛んに作られることが
なかったのか?

 


まず最初の疑問、Q1について調べてみました。現在もたたら製法で鉄を作っている場所があります。島根県奥出雲町にある「日刀保たたら」です。

公益財団法人日本美術刀剣保存協会が直接に運営している「たたら」です。このホームページより、鉄(日本刀になる「玉鋼(たまはがね)」を含む)の原料が砂鉄と木炭ということがわかります。木炭を燃焼させて一酸化炭素COを発生させ、これを還元剤として使用し、鉄の酸化物である砂鉄から鉄を取り出すというのが大まかな原理だと思います。6世紀に日本に伝来した技術が21世紀の日本に生き残っているとは驚きです。

この製鉄所「日刀保たたら」近くに斐伊川(ひいかわ)という川が流れています。古事記のスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の舞台となった川です。ここでは山から花崗岩を採掘して砕き、砂鉄を取り出した後に残った砂を下流に流します。大量の砂が川底に沈殿して行って、川の景観を変えて行ったように想像できます。

この川の景観は、島根県観光連盟HP内「島根県観光写真ギャラリー」の斐伊川の画像でご確認ください。「斐伊川」で検索していただくと、いくつか画像が出てまいります。そのうちの1枚をご紹介します。

 

砂鉄を含む/含まないで比重が異なり、「鉄穴(かんな)流し」という手法で砂鉄を取り出し続けて来た結果が現在の川の姿であろうと推測します。下流の方に来ますと、砂山と砂山の間を水が流れて行くというような印象を持ちました。

次は書籍、永田和宏著『人はどのように鉄を作ってきたか』(講談社)p.149からの引用です。

花崗岩は火山性の岩石である。山中で採取される砂鉄は磁鉄鉱(マグネタイト)で酸化チタンが数%含まれるが、鉄穴流しで粒径が0.5mm程度の砂鉄が採取され、酸化チタンは流出して2%程度になる。これを真砂小鉄(まさこがね)と称した。真砂小鉄は低融点のノロを作り流れ易く、たたら操業に有利である。このような砂鉄が採取できる地域は限られており、出雲(島根県)、伯耆(鳥取県西部)、千種(兵庫県北部)、久慈(岩手県北部)である。少し酸化し砂鉄が小ぶりで酸化が進んだ砂鉄やチタン酸鉄鉱石(イルメナイト)を含む砂鉄は赤目小鉄(あこめこがね)と呼ばれ、主に備後(広島県北部)で銑の生産に使われた。

 

会社の食堂で簡易的な実験をしてみました。本コラムの画像の要領で、百均で購入したマグネットシートを用いて、川砂を「砂鉄」と、「砂鉄を取り出した残りの川砂」とに分けてみました。試験官に一つまみずつ入れ、水を注いだ後に試験官を振ってみました。ほとんど同時に澄んだ水になりました。浮力をもっと付与するため、50%の砂糖水を作って再度実験してみました。

確かに比重の差で砂鉄を取り出すことができそうです。実際の鉄穴流しについては、奥出雲町観光協会のサイトでご確認ください。

よってQ1に対する答えとして鉄穴流しという比重選鉱を行っていたということになります。

参考のため、「日刀保たたら」、斐伊川、出雲大社の位置関係を次のイラストで確認してみてください。
山陰中央新報社刊『こども出雲国風土記』の付録に付いていたものです。


次のQ2ですが、明快な答えを得ることができませんでした。1つは先に引用しました『人はどのように鉄を作ってきたか』の記述のように、酸化チタンやその他の鉱物の含有量からして、当地の砂鉄がたたら製法に適していなかったのかも知れません。2つ目は、日本の製鉄業は、古墳時代から時代を下るにしたがってだんだんと中国地方に集約されて行ったようです。製鉄業が集約されるに従い、技術革新が進んだということでしょう。この辺については、日立金属のホームページを参考にしていただきたいと思います。

なお当地諏訪が石器時代(黒曜石)の次に工業地域として日本史に登場するのは、明治の製糸業であります。


当社はホームページで自らの仕事を「特殊鋼と非鉄金属の加工販売」と謳っております。特殊鋼の代表格はステンレスです。それならば「特殊でない鋼とは?」という疑問が湧いて来ると思います。『人はどのように鉄を作ってきたか』のp.24に次のような文章が載っています。

現在、鉄は炭素の含有量によって次のように分類されている。「工業用純鉄」は炭素濃度0.02%以下のものを言う。炭素濃度が0.02~2.1%のものを「鋼」、炭素濃度2.1%以上は「鋳鉄」または「銑鉄」と呼ばれる。鋼は炭素だけを主要に含む炭素鋼の他、炭素以外の元素を加えた合金鋼や特殊な性能や用途に適する特殊鋼がある。一般に炭素濃度0.3%以下の柔らかい鋼を「普通鋼」と呼んでいる。

 

上の文章をグラフに書いてみました。

鉄鋼はその炭素含有濃度から、純鉄、鋼、鋳鉄(または銑鉄)と分類できるというところで、このコラムを閉じさせていただきます。

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