諏訪市が市制施行80周年を迎えました、当社も協賛
2021年8月10日、当社が立地しております長野県諏訪市が市制施行80周年を迎えました。新型コロナウイルス感染第5波の影響で、記念式典が12月18日に延期されたと報じられております。画像のような地元密着の新聞紙があるからこそ、諏訪の住民はそのことを頭の片隅にインプットしておくことができるのだと思います。全国紙ではないので発行部数はそんなに多くはないと想像しますが、地域のニュースや話題を届けるという側面を考えますと、地元紙は大変重要な役割を果たしているように感じております。
そんな、諏訪市と地元紙への気持ちを込め、当社は広告を掲載しました。併せて、社員募集中のメッセージも加えさせていただきました。下の画像の最上段、右端です。
諏訪市の沿革を紙面で改めて確認しました。80年前の1941年(昭和16年、太平洋戦争前です)に、当時の上諏訪町、豊田村、四賀村が合併して長野県で6番目の”市”として発足したとあります。当社の住所が豊田なので、もしかしたらこの辺の住民のご先祖様たちが合併に向けて運動をしたのかも知れません。
1944年(昭和19年、戦争の終わり近く)の項に、「東京都中野区神明国民学校児童などの集団疎開を受け入れる」とあります。当地は子どもたちだけではなく、企業の疎開先ともなりました。紙面には載っていませんが、諏訪市で言えば、今のセイコーエプソンです。昔は諏訪精工舎と言っていたように記憶しています。当時の主力製品は腕時計でした。テレビのコマーシャルで、正午の12時になりますと「セイコーの時計が12時をお知らせします、プッ、プッ、コーン」と流れたものでした。オリンピックの時間計測にも使われるようになり、SEIKOの文字を見て何となく誇らしげに感じていたことを覚えています。
さて諏訪市のことを地元民はよく、「上諏訪」と呼びます。諏訪と言うと、諏訪郡6市町村を連想してしまいます。JR中央東線に上諏訪駅があるので、上諏訪という地名は地元に広く知られていると思います。やはり戦前には「上諏訪町」があったのだと、改めて紙面で確認した次第です。
当地が今抱えている課題の一つに、諏訪バイパス(国道20号線のバイパス)の問題があります。甲府のバイパスができたのはかなり昔のことだと思います。続いて富士見町や茅野市でバイパスが整備され、諏訪市と下諏訪町を飛び越え、最近になって岡谷市でもバイパスが完成しています。残った下諏訪町でもバイパス工事が始まっており、下諏訪町と諏訪市のどこにバイパスを通すのかで最終局面を迎えております。地下水脈と静岡-糸魚川構造帯をどのように評価するかがポイントだと思います。地下水脈は諏訪市の酒蔵の品質にも関係するでしょうし、同時に上諏訪温泉や下諏訪温泉に影響を及ぼす可能性があります。また国が提案しているルートが断層をトンネルで貫くことになっており、地震発生(当地は東海と東南海の両方の地震発生の影響が想定されている)を考えると心配になります。未来の世代に残す大事な社会インフラであります。私たち世代の決定が、未来に影響を及ぼすことは明白と考えております。